こんにちは、妻Mahoです。
立春が過ぎてからもまだまだ厳しい寒さと感じられる日もありますが、それでもやっぱり、
どことなく優しい暖かさを感じられる瞬間も、一日一日の中で増えたような気がする今日この頃。
今日で1歳と2ヶ月になった娘もまたその気配を感じているのか、最近は日の出とともに元気よく起き出して、母は毎朝眠気と格闘の日々です^^;
夫Joeさんは昨年末からご依頼いただいていたウェブサイトの制作がいよいよ佳境に入り、深海に潜るがごとく制作と表現の世界に没頭しています。
そんな風に、忙しいというのとは少し違うかもしれませんがJoeさんの中で仕事のスイッチが入ったとき、些細なすれ違いが増えて、うっかり夫婦でケンカに発展することがあります。
そんなとき、今までは「(仕事の)オンとオフはきちんと切り替えてほしい」とJoeさんに変わってほしくなったり、逆に上手くサポートできない自分を責めたりしてしまうことが何度もありました。
でも、昨年末からDreamarkとしてスタートして、更にエジプトリトリートを経てから、
良い意味でお互いこのままでいいんだと、
変えようと、変わろうとするのじゃなく娘も含めて家族みんなで一緒にがんばっているんだと、そんな風に思えるようになりました。
実際はまだまだ試行錯誤なところも多々ありますが^^;
お仕事を通して家族としてもそれぞれがそれぞれに磨かれて絆を深めていけたらいいなと、そんな風に感じています。
さて、そんな日々の中で先日、前回の記事に書いた特定非営利活動法人ロシナンテスさんより、支援の御礼状とともにパンフレットと活動報告書が届きました。
☆こんな感じで、活動報告書とパンフレット等が届きました!
これを見て、なんだかとても嬉しく感じました。
それで、この嬉しさってなんだろう?と思ったのです。
正直、我が家の毎月の寄付額は3000円ととても微々たるものなので、
それは現地の活動や誰かの役に立っているという意味での喜びとは少し違うと思うのです。
「支援をしている」という感覚もありません。
でも、じゃあわたしは何がこんなに嬉しいのかな?と感じたら、それは、
「繋がれている感覚」
なのかな?と思いました。
前回の記事でも少し触れましたが、昨年までの自分はずっと「自分のこと」ばかりでした。
このDreamarkを始める前にわたし個人でやっていたお仕事であったり、子育てであったりを自分なりに一所懸命やっていて、娘はとても可愛く、そしてお仕事もある程度軌道に乗っていきました。
その中にお客さんに喜んでもらえる喜びや自分の成長を感じられる楽しさ、感動もある上で、一方でどれだけ売上など上がっていっても、いつもどこかで感じている気持ちは「もっともっと」「わたしなんかまだまだ!」という気持ちでした。
物質的な部分や生活に余裕ができてきても、一方でどこか心にはずっと余裕がない。。。
かたや夫のJoeさんはいつも「生きてるだけで幸せじゃん」という人で、
もちろんひとたび仕事や何かの制作に入るとまるで命を削ってるんじゃないかとこちらが内心ハラハラするほど自分に厳しい人でもありますが、そこに変に上を目指すだとか、いい生活をしたいだとか、誰かと自分を比較したりだとか、とにかくそういった変な自意識がなくて、
生きていることだけで(それはたとえ自分が好きなクリエイティブな活動ができなくなるような状況にあったとしても)幸せだし、有難いという気持ちがいつも静かにそこはかとなく流れている感じです。
わたしは夫Joeさんのそういう部分に今も昔もずっと惹かれているので、だからわたしもいつかそうなりたいと、
そしてそれを今までは、
「今までの自分のようなようながんばり方」の延長線上に、その先に得られる感覚だと思っていたのでした。
でもエジプトに行ってリトリートから帰ってきたときに、そもそもそれは全然違う次元のことだったんだということがわかりました。
以前のこの記事でも書いたように、
本当に状況や物質的な持ち物、条件に関係なくただ幸せだと、満たされていると感じられる感覚があって、それは自分が今まで感じていた幸せ感とはまったく違うものでした。
ずっと隣にいながらもわかることができなかったJoeさんの感じている感覚はこれなんじゃないかな?と初めて感じることのできた嬉しさ。
そして状況やモノの如何に関係なく感じられる幸せがあると知ったら、今まで感じていた「余裕がない」という想いすら幻だったのだと気付きました。
そして今までの自分はいつもどこかで「自分か、他者(相手)か」という「あちらが立てばこちらが立たず」というようなもどかしい感覚があったのですが、
(そしてその気持ちが、前回の記事に書いたような「何かできることをしたいけどでも…」と感じてしまい動けない要因だったと思います)
エジプトリトリートを経て、世界と自分は本当はずっと深く繋がっていること、
むしろ世界も世界の誰かも何かも全部「わたし」なんだと、
そんな感覚が芽生えていることに気がつきました。
そしてその感覚はエジプトから帰ってきてからも、日増しに深く強くなっています。
自分でもよくわからないけれど、確信しているのはその感覚が本当は真実なのだということ、
そしてこれから先の人生はこの感覚で(それをよりもっと深めて)生きていきたいということ。
なので、今回継続的な寄付をしてみよう、まずやってみよう、と思ったのは、誰かを助けてあげようとか、今の世の中に問題を感じていてそれをなんとかしなくては!とか憂える気持ちからではなくて(そういう気持ちからだとやっぱり、そういう世界しか生み出し続けないように思います。)
自分がこれからずっとこの感覚で生きていくぞ!ということ、
もう二度と前のような自分には戻らない!という決意表明みたいなものなのです。
わたしと世界は繋がっていて、世界の誰かもわたしであるということ。
そのことを忘れないためにできることはなんだろうと意識しはじめたとき、ロシナンテスさんの存在がわたしの世界に飛び込んで来て、
活動されている代表の方が日本人の方で、同じ日本人としてそういった方がいること、とても誇りに思い、また、有難くも感じましたし、
また、活動しているスーダンの場所を地図で調べたら(恥ずかしながらどこにあるかも知らなかったわたしです…)
エジプトのすぐ真下ということにも、なんだかご縁を感じました。
そしでロシナンテスという名前が、かつて父と帝国劇場で見に行って今でも心惹かれるドン・キホーテの物語に由来していること、
そして何よりロシナンテスさんが世界に発信してくれる「写真」が、
現地の子どもたちも、現地で活動しているスタッフさんたちも、
どれも笑顔やイキイキとした表情に溢れていて、
「途上国支援」というとこと、現地の人々の深刻さや苦しさにフォーカスした写真(表現)が多い中で、
世界が少しずつでもより良くなっていること、
その希望や喜びを感じさせてくれるエネルギーに溢れていて、
ああ、ここにお願いしたい(変な言い方かもしれませんが、「お願いしたい」という感じだったのです)
と感じました。
なかなか感じていることを言葉にすることが今回は今まで以上に難しく感じてしまい、とっても長くなってしまいましたが、そんな気持ちでおります^^
エジプトから帰ってきて何か感じとった感覚を、夫のJoeさんはきっと、あらゆるところの作品づくりに込めることで、これからに繋げていこうと思っていると思います。
わたしもまた、こんなふうにそのときそのときピンと感じたことを、まずはやってみることを積み重ねて、
エジプトリトリートから感じたこと、見えたことを、これから先も大切に過ごしていきたいと思います!